54歳から優れた映画監督になる方法とは?
アクティングコーチという仕事に宗教的熱狂さえ感じるが…
2009年6月、品川区のゼームス坂にStudioAcotorsArtを開き、アクティングコーチとして仕事を始めてから12年と3ヶ月が経った。
我ながら天職だと思っている。
コーチング自体にも、その結果、俳優が素晴らしい演技をすることにも興奮を覚えずにはいられない。伸びない俳優が居ると悩んだし、伝えたいことが伝わらないと苦しんだ。ふと気づくといつも物思いにふけっていた。俳優をもっと覚醒させる方法について、もっと明確に伝える方法について常に思いめぐらしている、そんな毎日だった。
そして、「これは!」というアイデアが閃く瞬間。それは、ある種の宗教的熱狂にさえ私をいざなってくれる。レッスンの準備段階から、コーチングの最中、そして、良い結果報告を聴く時、観る時、この仕事のあらゆる面に痺れている。「ああ、アクティングコーチってサイコー!」とつくづく思う。
しかし、そんな私も人生初のワークショップを告知する時は心の底から恐怖を感じた
「果たして誰か一人でも参加してくれるのか?、誰も来なかったらどうしよう…いや、参加してくれたらもっと怖い!満足して帰ってもらえるだろうか…」
そんな恐怖に慄きつつも、ただ、どうしても伝えたいことが山ほどあった。演劇告知サイトにワークショップの案内を投稿するのさえ勇気を振り絞る必要があったし、投稿ボタンを押す指は震えていた。やっと投稿したが後から後から後悔の念が湧き起こる「おこがましい!自分より経験豊富な俳優が参加したらどうする?お前のどこにそんな資格があったのだ?!」と…。告知を削除しようかと迷いに迷った。
…が、そうこうしているうちに1件の申し込みが入り引くに引けなくなってしまった。1名様だとワークショップが成立しないし赤字になってしまう。観念してワードでチラシを作成し家庭用プリンターで印刷した。夜中に下北沢を訪れ、俳優が集まりそうな場所に配って回った。
結果、3名の申し込みがあり、渋谷に会場を借り、記念すべき第1回目のワークショップは無事開催された。
2,3ヶ月後だったと思う、その内の1名から連絡を頂いた。「スタニスラフスキーシステムに出会ってから全てが変わりました。デビューが決まりました!」と…。
私のやりたいこと、私にできること、世界に求められている事が完全にハマった瞬間だった。あの最初の1件がなかったら今頃どうなっていたのだろうと思う。最初の1名様には今でも感謝している。
「映画監督になりたい!」と言う新たな欲望と恐怖!
そして、今、覚醒した俳優が物語の中で輝く瞬間をこの手でフィルムに、そして観客の脳裏に焼き付け、永遠のモノにしたいという欲望が抑えきれない。が、同時にまたしても恐怖に慄いている。
- 今さら?54歳だよね?
- そんなセンスあったっけ?
- そもそも、映画見る?
いや、正直、子供を授かってからここ何年も映画なんてほとんど見てない。観るのは役作りやシナリオのお手伝いした私の教え子が出演する映画ばかり。映画館で観たのはほぼ子供用映画。。。。確かに私は映画を見ない、むしろ映画を語る資格など全くない人種だと思う。
てな具合で、例のごとくありとあらゆる「お前なんかに映画が撮れるわけがない」的な言い訳が際限なく浮かんで来る。何かしらの行動を起こさない限り、この想いはいつしか消え去っているだろう。今の平穏無事な日常を維持するために忘れ去るべき戯言として扱われ、恐怖のために自らあきらめたと言う事実の痕跡さえ残さずに。ああ、映画なんかに手を出して酷評されたり、失望されたりしなくて本当に良かった。めでたし、めでたし・・・。
怖くて仕方ないし、恥かしいことこの上ないのだがここで何かしらの行動を取らなければ本当に何も起きないめでたい人生で終わるのは確実だ。
こんな歳で、体力にも、センスにも自信が無いのだが「どうしても焼き付けたい瞬間がある!語りたい物語がある」という想いのほうが勝ってしまう。実績もなければ、シナリオも書いてません、書けるかどうかも分かりません。
ただ、思い返せばアクティングコーチになったタイミングは実績を積んだからでも、資格を取ったからでも、十分に力が有ると自信を持っていたからでも無かった。いつ、私はアクティングコーチになったのだろう?
それは「役に立つワークショップやります!」とアクティングコーチを名乗った時だった。無茶な告知したからこそ、その準備を始めなければならなくなった。喜んで帰ってもらうためのメニューを煮詰めなくてはならなくなった。しかし、その結果、満足している参加者の表情を思い浮かべながらメニューを構想したり、初めてのワークショップ会場のがらんとした空間にパイプ椅子をどんな形で並べれば効果的かなどと何度も配置しなおしたり、現実的な課題に一つ一つ取り組み始めてからこのかた私はアクティングコーチだし、今もそれをずっと楽しんでいる。。
だから映画監督になる最もらしい条件は何一つ整ってはいないのだが、私が今までとは全く違う世界に一歩踏み入る時に冒すいつものパターンに従おうと思う。
それは名乗ること。告知する事こそが私を想念を弄ぶ人から、行動する人に駆り立てて来た。なので、先ずは「映画監督 田中徹」を名乗る。もちろん、作品を1つでも撮ればわざわざ映画監督を名乗る必要もないのだが、そのもっと手前で明確に自分を規定しないと何一つ動けない無精者のなのだろう。
また、直ぐにでも撮影できれば最高なのだがこのコロナのご時世にお試し気分で人を集める気にもなれない。このジッと我慢の機に映画をじっくりと学び、シナリオを練り込み、独りでできる習作に取り組み始め、記念すべき劇場公開第一作目までの道のりをこの場を借りてご報告させて頂ければと思う。
全くのド素人が54歳から独学で優れた映画監督になるためのカリキュラムとは?
出来れば映画学校に通いたい。先生にキチンと映画の文法を教わりながら、皆で撮影や品評会などできたらどれだけ楽しく学びも深くなることだろう。…がそれは時間的にも経済的にも叶わない。
しかし、映画監督になる方法など検索すると「撮るしかない!」「創るしかない」的な意見がほとんどだ。至極もっともだと思う。やはり実践しかないのだろう。
ただ、54歳、残された時間も限られているので闇雲な努力は許されないと思っている。映画を撮る経験をしたいのではない、人類の精神的遺産になるような映画を残したい。
なので、優れた先生との出会いに大きなる期待はしつつ、それまでは信用できる教科書を1冊マスターしようと思う。そして、切磋琢磨しあえる仲間と集えるまでは独りで、あるいは厳選された少人数で撮影可能な短編を撮りYouTubeなどでコメントを頂ければと思う。
私の考案した「優れた映画監督になるためのカリキュラム」とは?
- 映画の教科書を読み進め、その内容をブログなどにまとめて共有することでインプットの質を高める。
- 教科書に提案されている課題を制作し発表する。
- それらに並行してオリジナルシナリオ執筆する。
- 短編の習作を15本程撮影したのちオリジナルシナリオによる短編を撮って劇場公開したい。
私がしばらくお世話になろうと思っているのは次の3冊
私の映画独学を支える3冊の書籍とは?
「映画とはなにか?」を学ぶために
監督マッケンドリックが教える映画の本当の作り方 単行本 – 2009/9/28
アレクサンダー・マッケンドリック (著), 吉田 俊太郎 (翻訳)
カリフォルニア芸術大学学長として長年映画術を語った"最後の映画人"が、人生のすべてを賭けて書き下ろした教科書が本書。現在でも同大学のカリキュラムの根底をなしている。
「映画作りを学ぶための確固たる堅実なスタートポイントになるだろう。本書の価値は語りつくせないほど大きい」マーティン・スコセッシ
という触れ込みである。パラパラめくって以下の文章に触れたちまちインスピレーションを得て痛く気に入ってしまった。絶対にこのホンで学びたいと思う。また、映画の文法を学ぶことでアクティングコーチとしての見識も深めたい。
「ちょうどピカソが自分だけの視覚芸術言語を再発明する以前には形象的、幻想的な絵を描くことを徹底的に抑えていたのと同じように、芸術家や職人が革新的なことをするにはまずいわゆる原理原則と呼ばれているものを全て確実に理解してからその上でそれを破壊するべきなのだ。」
「映画がうまくいかなかった場合には、それはほとんど間違いなく破ってみたいくつかのルールに根本原因があるのだ」
「撮影技術実習において自ら書いたオリジナル脚本ではなくすでに名を成している書き手による舞台の戯曲を使おうとする学生を多く見かける。これはカメラ編集機器を利用して映画の文法を学ぶことだけに集中できるという意味で特に初心者には推奨できる学習方法だろう。既存の信頼できる台本を利用して監督術を体験してから自分で書いたものを使って監督してみればいいのだ。」
「オリジナル脚本を使った場合、出来上がった映画が満足いく作品にならなかった場合それが映画の文法理解の間違いから来るものなのかそれとも脚本そのものが根本的にダメだったのかが分かりにくいという問題がついてまわってしまう。」
「自分の魂を込めた作品は後々のために取っておいて自分の中で劇的ドラマ性というものを理解して使いこなせるようになるまで待つべきである。そうしなければせっかくの貴重な学習体験を無にしてしまう結果にもなりかねない」
私が演技を指導する時の理念に実によく似ている。ピカソのたとえ話は私の生徒なら「同じこと言ってる!」と思う人は沢山いるだろう。
先ずはこれを基本的な考え方としていくつかの古典戯曲を映画の場面にしてみたいと思う。
とは言え、オリジナルを書くこと自体はもう始めておけばよいだろう。私にとって素晴らしい映画監督とは優れたシナリオライターと同義だからだ。
「優れたホンを書く」学びは優れた俳優になる道に通じている。
「物語には型がある」これは私がシナリオ読解を教える時の基本的な理念と全く同じだ。面白い話には型がある。徹底的に自分のストーリーのアイデアをその型に当てはめようとする努力はむしろ創造性が発揮されやすくインスピレーションを招いてくれるはずだと実践前から期待大!
また、シナリオライターを目指していなくとも俳優が読解力を高めるためにも一読するべきホンだろう。先ほどのマッケンドリックの言葉を借りるならば
「家屋を破壊する専門家たちは、家屋を建てるための原理原則を知り尽くしている」
正にシナリオを適切なビートに分ける際にシナリオを組み立てる側の原理原則を知るからこそ、それらを最も適切な単位で分解し、あまたある解釈の選択肢を絞り込めるのだ。
細かく適切に分解できるからこそ、演技可能かつ、自然と役の人物になりきる行動の単位に落し込める。頭ではなく身体的行動に落し込めているからこそ、実演の際に頭を使わず、演技プランを演じるのではなく、完全に手放せた状態で「役を生きる」が可能になるのだ。
信念と焦点をコントロールし、夢の人生を引き付ける方法
The-Attractor-Factor-5-Easy-Steps-for-Creating-Wealth-or-Anything-Else-From-the-Inside-Out 未邦訳 「引き寄せの要因 富でもなんでも内側から創造する簡単な5ステップ」
これは全く映画にも演技にも関係ない、いわゆる自己啓発本だが、たまたまタイトルに強烈に魅かれてしまったので、夢を叶えるために読み進め実践してみようかと思う。何が気に入ったってタイトルに2つも「actor」が入っているでしょう(笑)「引き寄せの法則」や「シークレット」の中に登場する人物の書籍らしい。
実はこの3冊「映画の本当の作り方」「save the cat」「The-Attractor-Factor」は次のように私のアクティングコーチに至る人生と妙に縁があるのです。
- 私がスタニスラフスキーシステムを学んだ学校名➡「ほんとうに役に立つ演劇教室」
- その教室から立ち上がった劇団➡「CAT21」
- 私が立ち上げた➡「StudioActorsArt」
きっと、この3冊で何かが起きるという予感で走り出します。
で、おまけのもう一冊
ちょうど「海が走るエンドロール」という漫画がネットで紹介されていた。その帯の言葉は「65歳映画始めます!」それをバクらせていただきつつ、(;'∀')
「54歳映画始めます。」
12年後、やりたいこと、できること、求められている事の一致に熱狂を味わっている自分を目指し、目標はずばりアカデミー賞!オスカー片手に45秒で私の人生に関わった全ての人に感謝を述べて死ぬことです。